秋と坂道

 

ここらへんの地理をすこし学んでみたくて、街歩きの達人(だと私が勝手に思っている)にご指南をお願いしたところ「それなら、よく通っている実習講座があるから一緒に参加してみよう」というお誘いを受け、週末の秋晴れの日にさっそく集合場所へと向かった。

 

というのも、知人や友人に住み慣れた地域を案内するときに、私にとっては当たり前の景色を前に何をしゃべったらいいのやら口ごもってしまうことがこれまで何度もあったからだった。

近すぎたり当たりまえになりすぎると見えなくなることのひとつかもしれない。はるばる海をわたって来てくれた友だちにさえ、そんな頼りない観光ガイドをしてしまうという苦い体験をきっかけに、自然と知りたい気持ちが湧いてきた。

 

駅の改札口に集まった10数名の人たちの大半はミドルエイジのおじさんたちだった。気合いの入れ方もそれぞれ。でこぼこの分厚いゴム製の靴底がついた登山靴の靴紐をチェックするおじさん、集合時間の10分前だというのに無線ーー野外系講座の必須アイテムーーの片耳イヤフォンをしっかりと耳たぶにかけて、レシーバーのライト点灯を確かめるおじさん、講師とまるで友だちのようにタメ口で笑い話をする(きっと常連の)おじさん。

  

国分寺崖線の起伏を体感することが目的のこの講座では、5、6キロ先の国分寺駅を目標に「はけ」の境界線(坂道や階段になっているところ)をジグザグ式に何往復もしながらめぐる、初心者にとってはなかなかのハードコースだ。講座自体もとても面白かったのだけれど、それ以上に愉快なおじさんたちも負けていなかった。

 

急峻な階段を見つけてはすぐさまシャッターにおさめたり、井戸水(お腹痛くならないか心配になりそうな…)を飲んだり、道路の下に入り組んだ古いトンネルを顎をつまみながらまじまじと眺めたり、古い地蔵を見つけてはうんちくをたれたり、湧き水の量が多いことに歓喜したり。おじさんたちを横で眺めていることの方が地形と同じくらい愉快だったかもしれない。彼らは近所さんぽが心から楽しくなるような(今立っている地点が何層にも重なっているように感じられるような)街歩きの原点のようなものを知っていた。

また、日頃から実践していることがわかった。

 

馴染み深い道路に立っている小さな立て看板に「ここは旧石器時代の…」という文言を見つけたとき、そう気づいた。

  

途中、庭園内に「水琴窟」という古くから日本で親しまれている音を楽しむ遊び装置があった。ちょうず鉢の下に水瓶を埋めてある。その上から柄杓ですくった水を流して、横にとりつけられた長い竹筒に耳を当てると、水瓶に落ちた水流が反響した「コロコロコロ…」という幻想的なする。これは2人の方が楽しみやすい。一人が柄杓ですくった水を流してあげて、もう一人が竹筒に耳を当てるのだ。

 

私の後ろに物欲しそうに水琴窟を眺めるおじいさんがいたので、水を流してあげるから竹に耳を当ててみないか、とお誘いをした。おじいさんは「いいの?」とことわってから、恐る恐る竹筒に片耳を当てた。やがて顔をぱあっと明るくして「あ、聞こえる聞こえる!」と無邪気に喜んでいる。こっちも嬉しくなって、何度か繰り返してあげた。少女漫画の主人公のように可愛い笑顔でびっくりした。(そして自分がおじさんみたいであることも、より際立った瞬間であった…)

 

 

さて、二十四節気では早くも「霜降」。七十二候では「楓蔦黄(もみじつたきなり)ですね。バラの花びらが落ちたので、いつものようにみずに浮かべました。今回の新月は、今年で一番「生まれたての時間」特有のフレッシュさを強く感じます。秋の澄んだ空気とか、金星や木星の輝きもあって、すみずみまで洗われるような瑞々しい時間という感じがする。

 

良い秋の日をお過ごしください。

 

by Kei

 

さて喫茶去。このあいだの打ち合わせの際、この求肥入り最中を教えていただいてから、夢中になってしまい、水屋に常に常備するようになりました。小さい頃は苦手だった最中が好きになるなんて。時の流れを感じる(遠い目)お茶は小山園の「和光」ですよん。