人は歌うカナリアのように

 

 

3年前に京都の下鴨神社で引いた、源氏物語をコンセプトにした栞型の恋みくじを「次にお詣りになる時までお持ちください」という裏面の記載どおり、こんにちも使っている。

 

それぞれ「手習(てならい)」とか「薄雲(うすぐも)」など、物語の帖名が当てられた、女子が喜びそうな、ロマンチックなつくりなのだけど、私が引いたのは巻ノ六にあたる「末摘花(すえつむはな)」だった。正直この名前を見たときは「なぬっ」と思った。末摘花の姫君は、当時のわたしにとってちょっとくせ者の印象だったし、他の帖のダイナミックさに圧されたのか、今ひとつ内容に入り込めなかったから。

 

常陸宮(ひたちのみや)の姫君が末摘花と呼ばれる由来も、知られているようにすこし気の毒だ。

 

末摘花(つまり、紅花)のように紅い鼻の彼女の顔に源氏が驚いたことで、この名が付いてしまう。はじめて読んだとき、見た目でびっくりした上、あだ名のようなものまで付けた源氏に対して、こころの中で「中学生男子か」と密かにツッコミをいれていた。(笑)最後は姫の真面目な人柄を思い、ちゃんとお世話をするというスマートさなのだけど。

 

「蓬生(よもぎう)」という帖で再登場した彼女の日々も、相変わらず波乱なもので、源氏の退去中、ヨモギが茫々に生えた邸で、貧しい生活を送っている姿が描かれている。お付きの者たちも方々に散っていってしまった上、叔母の悪だくみのせいで、長年付き添ってくれていた侍従までもが彼女の元を離れていく。最後はやっぱり神々しく現れた源氏に引き取られるので、一件落着なのだけど、真面目が過ぎて頑固一徹な彼女の性格にはちょっとハラハラさせられた。

 

紫の上や藤壺の宮などのように、いかにも雅やかに描かれている姫君がいる一方、こうした個性的で人間的な女性を描き分けていた紫式部さんの感性と技量に、改めて想いを馳せてみたりする。

 

あらすじはこの辺にして、肝心のおみくじの内容なのだけど、そんな姫君から案の定(?)「波乱の兆(きざし)」だった。(笑)

さらにドキドキするようなコメントが続くのだけど、結果はどうだろうと、姫の鼻が赤かろうと、3年間ずっと使っている。気合いを入れて読まなければならない本に、この栞を使うと、ぐんとモチベーションになる。(実際、集中力のないわたしも読めちゃう)

 

その理由が「和歌」にあったことを、先日改めて気づいた。十二単をイメージしたプロダクトで、紙の重なった部分を開くと、源氏が詠んだ歌が、流麗な筆致で書かれている。

 

 

「なつかしき色ともなしに何にこの

すゑつむ花を袖にふれけむ 光源氏」

 

(それほど心惹かれる人でもなかったのに

なぜ末摘花のように鼻の赤いあの人に、触れてしまったのか)

 

彼が興にまかせて、彼女への正直な感想を、紙の端につらつらと綴ったシーンの一首だ。内容が分かると、つい笑いがこみ上げてきそうになるけれど、もしもこんなお手紙が届くとしたら、それだけで十分な気もする。

 

ふと気づいたときにそっと小さな栞を開き、そこに書き込められた31文字のつらなりに目を落とすとき、意識は一瞬のうちに千年前に引き戻されてしまうのだ。大げさかもしれない…。でも、確かに。

 

 

…と、そんなわけで、すっごく遠回りになりましたが、(滝汗)先週末は、作業を一通り済ませてから、午後に國學院大学博物館で開催中の「和歌万華鏡」と、その関連イベントへ行って、和歌の世界に浸ってきたのでした。「折口信夫から万葉集へ」というテーマで、辰巳正明先生の講演会、目からうろこが落ちてばかりで、なんとも充実した時間でしたー。

 

「人間は歌うカナリアのよう、歌うことを忘れた人間はー…」

 

講演会の最後で仰っていたまとめの言葉が、余韻のように響いています。

 

次にチャレンジに手を伸ばすべく、しばらく(いや、これからも)「歌」や「詩」の学びが続いています。展示もとても面白いので、ご興味ある方は、ぜひ行ってみてくださいね。

 

 

箱根空木も、つつましく咲いていますね。

 

by londel

 

 

 

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