感動すると固まるタイプです。

 

 

東京で過ごすことになった今回の年末年始。雑務と向き合った年末はあまり身動きができなかったこともあり、知的好奇心指数は低下気味に。新年は欲を満たすべく、ずっと行きたかった都内のスポットや、好きな場所ーー美術館、展望台、公園、絵画展、喫茶室などーーをいくつか巡り歩いてみた。

 

そんな感動が刺激される場所に立て続けに出かけたことで、気づいたことがあった。自分の感動の表現が、あまりにも“それらしくない”ことであった。きっかけは、母と行ったとある展示会。感服している私の横で、母に「そんな好みじゃなかった?」と言われた時だった。腰を抜かした。

 

あなたは「感動する」というと、どんな表情を思い浮かべますか。わたしが思い出すのは、吉祥寺駅の高尾方面のホームから見える大型ビジョンで流れていた、とある映画の広告。「絶対的な感動があなたを包む」というゴシック体のテロップの後には、暗闇の館内でスクリーンライトにぼんやり映し出された試写会参加者の泣き顔のシーンが流れる。ある人はハンカチを片手に肩を震わせていたり、目を潤ませていたりする。まあ、感動って言ったらこんな感じでしょうか。思わず口元に手を当てたり、涙腺が崩れたり、何かしら身体の変化がパッと浮かぶ。

 

一方で私は、人でも絵画でも場所でも、感動するとただ固まってしまう傾向があるのです。言葉通り、カチンっと。確かにそう。それも、感動すればするほど、カチカチになってしまうから厄介である。無表情になり、言葉に詰まり、足がすくみ、もはや「嫌なものに遭遇している可哀想な人」と言っても差し支えない見た目なのだ。(そういうわけだから、ごくまれに、遊びに行った帰り道、友だちに「もしかしてあんまり好みじゃなかったかな…」とか、言われちゃったりすることも涙 結構辛い涙)

 

何やこの話と言われたらそれまでである。ほんと、その通りです…。ただ、今日は、もしかしたら私みたいにちょっと変わった感動表現をお持ちの方っていらっしゃるのではないか、また、それで勘違いされてしまい、心を痛めている方がいるんじゃなかろうか、というかそけき希望が湧いてきて、このログを書いてみることにしました。

 

つまり、めちゃくちゃ感動しているんですよね。(しつこい笑)ただ、感動指数が高くなると、どうしていいのかわからなり、フリーズ状態になってしまうのです。例えてみるなら、ひび割れを起こすほど乾き切った土地に、一気に水を注ぐ瞬間のような感じ。乾き過ぎているため、最初は逆に吸収が悪かったりする。水と大地に一瞬の抵抗が生じるのだ。昔、小学校の理科の授業でそんなVTRを見たことがあった。

 

最初はこの不器用過ぎるリアクションに戸惑った。けれど、最近は徐々に受け入れるようになってきました。(開き直ったとも言える笑)これは私なりの感動表現なのである、と。感動表現というのは生物の生理現象に近いため、箸の持ち方のように強制して変えるというのはかなり難しいレイヤーのことだと思う。

 

ただ、日々自分が本当に感動したものに関しては、できれば何か形にしたり、伝えたいと思っているので、そんな信念とは裏腹に口ごもったり、言葉が空中ではじけてしまうのはやっぱり悔しい。そしてこの「やりにくさ」や「やりきれなさ」こそ、どうしたらもっと伝わるのか奮闘するための重要なスパイスだったりするのだから、安易に消えられるとマズいのである。たぶん。

 

 

今日はめっちゃ寒かったのですが、ジョサイア・コンドルの建築にどうしても触れたくて旧岩崎庭園に行ってきましたー。英国様式いいですねっ(語彙力)

 

Kei

 

 

 

 

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