二本足で立っています

 

 

 

ランチでたまに利用する惣菜屋さんは、いつもの量り売りではなくなっていて、すべてがていねいにパックに包まれて店先に並んでいます。

 

一方で近所のパン屋に入ると、みんな入り口で昨今の慣習に従い、ボトルの蓋をプッシュし、黙々と手をこすり合わせているので、わたしもそれに続きます。しっかりした食べものの包み方も、工夫がつまった万全ぶり。

 

「お届けものでーす」

配達の兄さんも、いつも通り張りのある呼び声。「お疲れさマ↑↓です」とあたしの声が謎に裏返ってしまったにも関わらず、何ごともなかったかのようにスルー&おじぎしてくれたのは逆に赤面ものだった涙(そこ、ぜんぜんつっこんでいいよ、なんかひとりすべったみたいになった)

 

受信ボックスを開くと、久しぶりの知人から免疫を上げる方法に関する内容のメールが。早速それを試してみた後、効果を書いて送信ボタンをポチり。

 

案件にかんするメールの結びにもすっかりねぎらいのことばが定番の〆になってきています。

 

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今、それぞれの場で、予測できない状況にその都度合わせ、マナーや態度を柔軟にアップデートさせていくというたいへん高度なことが行われている。そう想像を膨らませてみると、改めてただのことじゃないと感じます。

 

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国の決断力が「いのち」を軸にしていない現実がひとつのコントラストとなり、こうして振り返ってみると、今自分がいったい何の上に立っているのかが浮かび上がってくるようです。

 

上に書いてみたような、見えざる場で今行われている無数の配慮と個々の判断。

次々に生み出されていく新しいマナーに習慣化していこうとする意識の集積。

 

この上に二本足で立っている、立たせてもらっています。

 

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一方で、ささやかな血の通った数々の行いを生活実感が伴わない判断でくずそうとするもの

 

また、ひとりの内から起こる切実な問いが、あたかも大袈裟に響きわたってしまうように作り出されていく空気、

 

そのものとは対峙していくひつようがあると、身がしまります。

 

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アロマ焚いて読書。(したの写真)

 

長編もんや、と奮い立ち亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』の1巻を再読。

 

「嘘を避けることです。どんな嘘も、とくに自分自身に対する嘘は」

 

とはフョードルに対するゾシマ長老のお言葉です。

なんだこの台詞、めっちゃ刺さる…と思ったら、以前貼り付けたであろうポストイットがちゃんとペタンと貼ってあって、思わず不敵な笑みを浮かべてしまった。

 

今日から春分の末候「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」の期間に入ります。

 

自分にちゃんと刺さるものを選び直してぐんぐん取り入れていく。

 

そんな再発掘に役立つ、上弦の月めぐりがやってきましたよ。

 

 

 

 

by kei