Tokyo YaYa Night

 

 

 

「〜♪」

 

鼻歌が聞こえてきたのは、東京駅の中央線ホームで、黄色の線の内側で2列で並び、快速高尾行きの始発を待っている時のことだった。週末の11時近くになっても東京駅のホームは相変わらずごった返している。ホーム上には、こんな時間にも拘らず資料をチェックしながらせわしなく顎を動かして商談をまとめるOLや、キャリーを下げた出張帰りのビジネスマンなどが行き交っていた。

 

上りエスカレーターから溢れてくる人々は、ある程度流れに沿ってよろよろとホームを進んだ後、適当なところを見つけて整列印の前でピタリと立ち止まる。そして徐々に長蛇の列をつくる。まるで小さい頃ハマっていたテトリスみたいに。

 

機材類や分厚いスケッチブックが入った野暮ったいバックパックを背負い、ガジェット類を詰め込んだ手提げを両手に下げた出張帰りの私も、その一コマに滑り込んだ一人だ。新幹線で数時間、同じ態勢だったことからくる節々の軋みに追い打ちをかけるように、無慈悲な湿気がまとわりつく。そんな時のことだった。そよ風のような鼻歌が聞こえてきたのは。

 

「む〜ねにのこ〜る愛しい人〜よ〜♪」

 

いつしか歌声に変わっていた。喉から出している小さな音とはいえ、メロディラインを意識して丁寧に口ずさんでいる模様。それにしてもこの曲、どこかで聞いたことがある。いや、違う。“とても知っている”。なのにタイトルが思い出せない。(それは知っているうちに入るのか…)ハンカチを噛みたくなる。一体誰が。「まさか」と思ったが、そのまさか。私の隣で並んでいたサラリーマンだった。

 

梅雨時に似つかわしくない真っ黒のスーツを着込み、白いシャツの第二ボタンまで開け放ち、いかにも週末らしいリラックスした表情を浮かべている中年男性。右手に持ったスマートフォンのディスプレイの上で気怠そうに親指を滑らせている。パッと見たところ「THE 電車を待つサラリーマンの風景」といった印象だ。素敵なラブソングを歌っていること以外は。

 

彼はきっと私の戸惑いの視線に気づいたと思う。(思わず二度見してしまったからだ)それでも相変わらず慈しむようにメロディを歌う。周りの人々は、まったく気にもとめていない様子だ。カオスな板挟み状態で勝手な好奇心を膨らませているうちに「〜あの頃のことは〜夢の中へ〜♪」の高音パートも彼は難なくクリアしてしまった。

 

私は思わず、どこかの郊外の駅から少し離れたところに佇む小粋なスナックの暗がりを想像した。ミラーボールライトを浴びながらしみじみとマイクを握っている彼の姿がそこにあった。想像しないわけにはいかなかった。「お上手ですね」とか「あの、何の曲でしたっけそれ」という言葉が喉元まで出かかっていた。このままタイトルを思い出せずに乗車するのは耐えられない。そんな時だった。

 

「Suger Suger Ya Ya petit choux〜美しすぎるほどお〜♪」

 

サザンの「Ya Ya あの時代を忘れない」か…! 

サビに突入した途端、その美声が桑田佳祐の声色を帯びたのだ。謎が解けた瞬間、肌にまとわりつく湿気を全て忘れるような清々しさがあった。それにしても、首を垂れ、右手でスマートフォンを弄っている態勢だと思えないほどに感情がこもっている。特に最後の「忘られぬ日々よ〜♪」の部分は胸を打つ。

 

週末の夜、東京駅の中央線ホームで、終電近くのを待つサラリーマンがサザンの「Ya Ya」を情感豊かに歌っている。私はふいに、新幹線の車窓から見た景色を思い出した。新横浜から品川に近づくにつれて、暗闇の中から徐々に林立するビルのシルエットと無数の明かりが浮かび上がってくる風景を。その一つの明かりの中に、私の知らない空間が広がっていることと、その光景に心底ノスタルジックを感じたことも。

 

 そう思った時には、始発の扉が開いていた。おじさんも人混みに吸い込まれ、やがて見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

by londel