「何となく」を拾い上げる。

 

 

「何となく」を「実は」に置き換えても、意味はさほど変わらないんじゃないか、とさいきん思っている。

 

「何となく」は、一般的に優柔不断であいまいなイメージがあるけど、言い換えれば優柔不断にならざるを得ない“たしかな理由”があるとも言えるのではないか、と。

 

数年かけて身の回りのモノを減らしていることもあって、ミニマリズムやシンプリズムについて書かれた本をいくつか読んできたけれど、モノを手放す際の共通のアドバイスの一つに「迷ったら、迷わず手放しなさい」ということがある。迷った時点でしっかり心にストップがかかってますやん、手放したくなかったら、そんなもの、一瞬で分かるでしょう、と。

 

ジブンの胸に手を当ててみると、色々と思い出すことがあった。

 

最近“何となく”好きな旧知から、相当ムカつくメールが送られてきたのだが、どうもその人のことが嫌いになれないことを不思議に思っていた。ある日突然、こんな内容が目に飛び込んできたのだ。

 

「ジブンはアンタより既に遠いところまで歩いてきた

ジブンがダイアモンドなら、アンタは石だ」

 

相手が相手じゃなかったら、熱々のコーヒーをお見舞いしていたところだ(笑)が。何より驚いたのは、文脈とか、関係性上むしろムクムクと好印象が生まれてしまったことだった。ただ確信しているのは「絶対好き」じゃなくて、あくまで「何となく好き」=「実は好きなのだろうな」という予感にすぎないことと、

 

この確信のなさにこそ、個人的に「絶対好き」よりも数倍の安定した安心感を感じていることだ。

 

何となく好きな人には、どんなにムカつくことをされても、嫌いになるのは難しいことは体験的に知っているし、何となく行きたくない場所には何度行っても(むしろ、行くほど)嫌でたまらなくなるし、いつか着れるだろうと何となく思っていたウールのコートは、今年もいよいよ袖を通すことがなかった。おそらく来年の冬も。

 

コトバを因数分解してみると「なんとなく」は良い意味でも、悪い意味でも「実は」へと成長する過程を示す言葉のひとつなのかな、と思えてきた。サラサラと軽い粉雪が、積もればどっしりと重くなるみたいに。

 

「何となく」、聞き逃すにはもったいない。いまだに言葉にできていない何らかの印象を、前未来形に感じとれる、本能的で、人間っぽいちからの一つなのだとしたら。

 

by Kei

 

photo:今年もチョコレートをバリバリ食べました。