大切すぎるものについての考察。

 

 


着物にはまるで無頓着の母が
唯一持っていた瑠璃色の付け下げを
数年前に譲り受けました。


一度着せてもらった時
周りの人が思いのほか
褒めてくれたものだから
にわかに舞い上がり
(褒められるとチョウシのる)
以来、大切な一着となりました。


でも、大切すぎると
なかなか着れません。

 

シミをつけたらどうしよう
虫に食われたらどうしよう
桐箪笥は買わなきゃだろうか
樟脳はどうしようか
乾燥剤はどうしたらいいか
こまめに虫干ししなきゃ
という感じでアタフタ。

 

着れるチャンスが巡ってきても
汚したくないから
結局馴染みの着物しか着ないという
本末転倒な選択をしてしまった
ことも、しばしば、あります。

 

そのとき、ふと気付きました。

 

「本当に大切すぎるものは
逆にまったく触れられない」

 

というケースがあることを。

 

本来、大切すぎるものは
スリスリとムツゴロウさんが
動物を撫でるように
可愛がるものだとばかり
思い込んでいました。

実際、そういう大事さも
あります。

 

一方で

大切すぎて、触ることが
できないものも
やっぱりあるのだと知りました。

 

それは
大切なものとの間に
「畏怖心」にも似た
ピリピリとした結界を
感じ取るからかもしれません。

 

たとえば
美しい名画を目の前にした時のような。
あるいは
真っ白な手袋をはめて
大事なジュエリーをそっと扱うような

荘厳なきもち。


手が震えて
逆に落としてしまいそうもなる。

 

しかし、そのピリピリは
とても大切だということの証。
消えてはいけないものかもしれません。


遠ざけず、素直に受け止められないものか。
畏怖心を身にまといながら
シャッシャと着れるようになるのが
当面の夢です。

 

今はまだその両立はなく
結界の前で
ただ佇んでしまう感じです。

 

 

 

 

 

 

by londel