白という彩り。


「白い器は、料理が映える」
といって、白い器ばかり集めている人のコラムを昔読んだことがあった。


そうかもしれない、と思いながら、白磁の皿や壺に近づく。かたちが目に焼きつくのは、白いからこそだろうか。だからと言って、まるで無機質でないのは、口にするまでもないこと。


その器には、もちろん料理は乗っていないし花も活けられてない。
「おひたしがいいかな」

「スープボウルにもいいね」
目の前にあるだけでありがたく、まして触れることなどけっして許されない遺産の前で、勝手な妄想が浮かんでは消える。日常を彩るシーンが浮かんできた器は、館内を出たあとも、頭の中の水屋の一角にそっと並べられる。


その「白」に共通するものは、こちらの「彩り」を受け入れてくれる腰の低さ。

ぼんやり考えながら、コートの襟を立てて歩く。


同時に、「眼差し」みたいなものもある。

そうだ。そんな目をした一人のおばあさんを知っている。物腰低く、おおらかで、まっすぐこちらを見る。もちろん偶然だけど、ふんわりとカールしたホワイトヘアーがうつくしい人。ふと彼女を思い出す。


記憶に残る器は、最後に人の姿まで映写機のように浮かび上がらせる。

 

会期が終わるまぎわに滑り込むようにして見に行った、白磁展@日本民藝館、少しの時間でしたがこころが休まりました。

 


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おやつの時間。昨年の秋に奈良在住の作家さんの展示で求めた、小さな茶碗を出してみました。数少ない自分の器のなかで、たいせつにしているもののひとつ。

お菓子は名前からしてハイカラなチーズクリーム大福。さいきんミーハー心が疼き、こうしたハイブリッド和菓子ばかりを求めています。そろそろオーソドックスな豆大福に顔向けできなくなってきました…(すまん、豆大福)

 

 

by londel