「茶室の準備がととのうと、亭主は内露地から、中門を開いて、客を迎えに出てくる。これを迎いつけという。(中略)

中門 両側に棒ぐいをたて、それに竹で編んだ扉をつけたような、かんたんなものが多いが、ときには、屋根をつけ、両開きの板戸をつけたものもある。露地は仏典から出たことばで、清浄な地ということになるが、内露地はさらに清浄なところとなっており、中門はそのための結界なのである」

(『茶道入門』[カラーブックス]より)

 

はけの森美術館で開催中の展示「すなわち喫茶すー中村研一の日常と『茶』」鑑賞後のこと。

 

隣接している彼の旧邸の門(写真)の前に立ったとき、上記のような茶の湯の「中門」が頭にぱっと浮かんだ。見たとおり「中門」ではなく、敷地の入り口なのだけれど、たしかにそれは外の世界と内なる世界とを切り分け、同時につなぎとめる「門」として映った。

 

中へ進んでいくにつれて呼吸は深くなり、足の裏は飛石の冷えを感じてしまうほどに冴えていく。身体が、五感が、知らず知らずのうちに閉じていたことを、内に入ったことによって知るお決まりパターン。一体何度目だろう。

 

どこかに書いてあるわけでもなく、誰かに教えられたわけでもないのに、わたしたちはその場所の時間の動き方が、外とあきらかに違うことを感じて、受け入れる。見えないけれど、確かにそこにある「何か」によって。

 

空気のように。風のように。ダークマターのように。カイロスのように。

 

 

そんなわけで展示も面白かったのですが、個人的に旧邸の門が気になってしまったのでした。素敵な場所です。野川沿いを歩くのも風情があって好きです。

 

さて。新月を迎え、立夏に入りましたね。七十二候は「蛙始鳴(かえるはじめてなく)」。薔薇の蕾もぷっくりと膨らみはじめて、年号も変わり、新しい時間のまっただ中にある印象です。今月中に初夏の風を通したい袷の小紋を、衣紋掛けにかけておいたのだけど、なんだかんだ袖を通すことがないまま、日々過ぎゆくー…。(焦)そして、その間に着付けも忘れてまうでしょうな。今月どうか、寒めの日がありますように。(ちゃうやろ)

 

 

 

by londel