読書の秋ということで

 

あいつに

見せてる顔が

ほんとうのきみ

口走ったとたん

 

透明な殻脱ぎ

はじめてみる笑み

浮かべたあの子は

マトリョーシカ

 

きみの口もとに

ひたすらマイク

あてがっても

首傾げられるのが

関の山 

 

100ある顔

1/100を

目を細めて

ながめるなら

 

創造主がこらした

趣向も

知り得ない99/100

うつくしいことも

気づいたときは

後の祭り

 

あっちでも泣き

こっちでも笑い

擬態するきみは

マトリョーシカ

 

いつか

そのるり色の

流し目で ちらと

にらんでね

 

 

秋の夜長に、村上春樹の初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』のなかの「カンガルー通信」を読んでいたら、ふと浮かんできた、ことばの束。

 

沸き起こるものを、平坦な感想文にとじこめてしまうのはつまらないから、ちょっとしたことばあそびにしてみたものの。この一冊の中で、私にとって、いちばんページを行きつ戻りつした話でした。

 

たとえば、こんなフレーズ。

 

猖佑亘夕身でしかないという事実に対して、とても腹を立てている。ひとつの個であることこれはおそろしく不愉快です

 

何度もなぞりたくなる言葉って、あまたある名文がそうであるように、活字の間にいくつもの透明のフックがついているみたい。過ぎようとしたとき、ふと何かがひっかかった感触があって、立ち止まる。振り返ってみると、裾に何かのひっかき跡をみつける。跡だけでは正体は分からないから、あたりをキョロキョロしてみようとする。

 

「分からない」のに、フックには引っかかってることはしっかりと「分かる」なんておかしいし、うれしい。

 

 

photoは、先週企画の打ち合わせの際にお客さまからいただいた夢二の椿グッズ。うつくしや…(涙)

踏ん張り直して、イラスト作業を一気に仕上げますっ。

 

椿見ると、冬がすこし待ち遠しいものとなります。みなさま、やさしい寒露の日々を。

 

 

by Kei